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自然と共創するみかん―愛媛県宇和島市吉田町―

はじめまして。今すぐにでも宇和島に行きたい尾形と申します。

宇和島といえば、豪雨のニュースが記憶に新しい方も多いのではないでしょうか。宇和島を愛する私にとって、それは他人事とは思えない出来事でした。

少しでも役に立ちたい、そんな思いで7月と9月に訪れ、現地で見聞きし、感じたことをありのままに書きました。これを読んで少しでも宇和島の様子が伝われば幸いです。



【自然と共創するみかんー愛媛県宇和島市吉田町ー】


砂ぼこりが舞う。緑の山の中に、茶色い土がむき出しになっている。
蛇口をひねっても水は出ず、スイッチをいれても電気はつかない。

ここは、どこなのだろう。

本当は、わかっている。でも、認めたくなかった。自分の大好きな町が、変わり果ててしまったという事実を。



愛媛県宇和島市吉田町。愛媛みかん発祥の地ともいわれ、昔からみかんと共に歩んできた町だ。

春には白い花が咲き、辺りはあまい香りに包まれる。
夏にはちいさな実がつき、収穫に向けた準備が始まる。
秋には緑色の実がだんだんと色づき、山はオレンジ色に染まる。
冬には出回る品種が多くなり、色とりどりのみかんがずらっと並ぶ。

そんな何気ない一年が、ずっと続くはずだった。

しかし、昨年の秋、台風に襲われた。強い風が吹きつけ、みかんの木の枝は折れてしまった。
さらに冬、類をみない大雪が宇和島に降り積もった。きれいに色づくはずのみかんはなかなか色が出ず、寒さで果肉が凍り、スカスカになったものもあった。


身体も心も凍りながら、なんとか切り抜けた昨シーズン。
「今年こそは」と思っていた矢先、今度は信じられないほどの大雨に襲われたのだ。

濁水が、勢いよく山の斜面を流れてくる。
街中に流れてきた水は、トラックをもどこかへ運んでいく。
まるで映画を見ているかのような、映画であってほしいような、そんな状況が繰り広げられた。

翌日からは、停電と断水が続く。生活を確保するのに精一杯で、みかんの世話をする余裕はない。

猛暑の中、休みなく復旧作業をする男性。
物資の調整や炊き出しで地域を支える女性。
重機が走り回り、危なくて外で遊ぶことのできない子供たち。




「みかん畑の4割もダメになったんよー!残ってるみかんの木の姿をはやく見たいわい」

前向きに明るく話す農家の姿。しかし、目の奥は決して笑っていない。
そこに見てとれたのは、寂しさと覚悟。


何十年もわが子のように愛してきたみかんの木。
その作品を一瞬にして壊された無力感は、底知れない。


自然は脅威だ。

しかし、それとともに恵みでもある。
自然に生かされてきたからこそ、農家はこれからも自然と共に生きていくことを心に決めたのだった。
私はそこに、忘れかけていた人間の本来の姿を見た気がした。


みかんをつくる人がいなければ、食べることはできない。
幾多もの災害を乗り越え、それでもつくり続けることを決意した農家の背中はたくましい。

ただひたすらに黙々と、できることを一つひとつこなしていく。

ある農家は私にこう言った。
「今年のみかん、楽しみにしててよ。」

「はい!」と返事をしたものの、よくよく考えると不思議な気持ちになった。
ちゃんとした世話もできず、自信作ではないはずなのに、なぜ、そう言えるのだろうか。
この言葉にはどういう意味がこめられているのだろうか。


農家は時に奥深い言葉を発する。
その奥深さをくみ取ると、見た目や味のことではなく、こう言っているように思えた。

「今年のみかん、いろんな人の支えがあったから、収穫することができるんだ。楽しみにしててよ。」


憐れみでみかんを買ってほしいとは思っていない。
無理においしいと言ってもらおうとも思っていない。



ただ彼が感じてほしいのは、遠くから応援してくれた人やボランティアで来てくれた人、そういう人たちの支えがあったからこそ、今ここに1粒のみかんが存在するということなのではないだろうか。


「支えてくれてありがとう」
「つくってくれてありがとう」

普段は乖離している生産者と消費者の輪を、今年はみかんがつなぎとめてくれるはずだ。




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