スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

10月, 2018の投稿を表示しています

西日本豪雨復興みかん販売を終えて

東大みかん愛好会BLOGをご覧の皆さん、こんにちは! 愛媛特派員(笑)のマーニーです。 僕がえひめ暮らしを始めて4か月が経ち、 西日本豪雨から、はや3か月が経ちました。 皆様、お変わりなくお過ごしでしょうか。 今回は、 10 月 5 日から 15 日にかけて、平日のお昼休み 1 時間、東大駒場キャンパス生協前にて行った 「愛媛県宇和島市吉田町の規格外極早生みかん販売」 に関するご報告です。 ちょっと長くなってしまったのですが、どうか最後までお付き合いください。 結果から申し上げます。 大好評でした (#^^#) ありがとうございました! 初日、一日 10kg 売れればいい方やろ・・・と思いながら仕入れた 3 日分の 30kg が、たちまち完売。 急遽追加発注し、その後は一日およそ 30kg ずつ販売。 7 日間で計 5012 個(= 242kg) を購入していただきました! こんなに皆様に買ってもらえるとは、企画当初は思いもしませんでした。 僕は何度も吉田町に足を運びましたが、目立ったのは、豪雨による土砂崩れによって農道や農機具が破壊され、夏場の 1 か月間、畑に入ることすらできなかった極早生みかんです。摘果 ( 間引き ) ができていないので、ピンポン玉のようなみかんがたくさん出来ていました。 3 S サイズ。 小さすぎて、出荷すらできないサイズの果実 です。 災害によって緊急の出費が重なり、稼ぐための農地も崩れてしまった状況に、追い打ちをかけるかの如く「ゴミにしかならない」みかんが大量発生。 この状況を、何とかしたい。何とかせねば。 そう思い、東大での販売に向けて動き始め、 2ヶ月 の調整を経て形になった企画でした。 販売を終えてみて、今回の企画には大きく 3 つの意義があったと感じています。 1 つ目は、 災害のことやみかんの味を東京の人に伝えることができたこと 。 最初にして最大の意義ですが、 7 日間、数千人が大移動するお昼休みに毎日、「豪雨災害から復興へ」ののぼりとみかんが出ていたことは、確実に道行く東大生の意識に残るものを残せたのではないかと思います。 また、食べてもらった人から

自然と共創するみかん―愛媛県宇和島市吉田町―

はじめまして。今すぐにでも宇和島に行きたい尾形と申します。 宇和島といえば、豪雨のニュースが記憶に新しい方も多いのではないでしょうか。宇和島を愛する私にとって、それは他人事とは思えない出来事でした。 少しでも役に立ちたい、そんな思いで7月と9月に訪れ、現地で見聞きし、感じたことをありのままに書きました。これを読んで少しでも宇和島の様子が伝われば幸いです。 【自然と共創するみかんー愛媛県宇和島市吉田町ー】 砂ぼこりが舞う。緑の山の中に、茶色い土がむき出しになっている。 蛇口をひねっても水は出ず、スイッチをいれても電気はつかない。 ここは、どこなのだろう。 本当は、わかっている。でも、認めたくなかった。自分の大好きな町が、変わり果ててしまったという事実を。 愛媛県宇和島市吉田町。愛媛みかん発祥の地ともいわれ、昔からみかんと共に歩んできた町だ。 春には白い花が咲き、辺りはあまい香りに包まれる。 夏にはちいさな実がつき、収穫に向けた準備が始まる。 秋には緑色の実がだんだんと色づき、山はオレンジ色に染まる。 冬には出回る品種が多くなり、色とりどりのみかんがずらっと並ぶ。 そんな何気ない一年が、ずっと続くはずだった。 しかし、昨年の秋、台風に襲われた。強い風が吹きつけ、みかんの木の枝は折れてしまった。 さらに冬、類をみない大雪が宇和島に降り積もった。きれいに色づくはずのみかんはなかなか色が出ず、寒さで果肉が凍り、スカスカになったものもあった。 身体も心も凍りながら、なんとか切り抜けた昨シーズン。 「今年こそは」と思っていた矢先、今度は信じられないほどの大雨に襲われたのだ。 濁水が、勢いよく山の斜面を流れてくる。 街中に流れてきた水は、トラックをもどこかへ運んでいく。 まるで映画を見ているかのような、映画であってほしいような、そんな状況が繰り広げられた。 翌日からは、停電と断水が続く。生活を確保するのに精一杯で、みかんの世話をする余裕はない。 猛暑の中、休みなく復旧作業をする男性。 物資の調整や炊き出しで地域を支える女性。 重機が走り回り、危なくて外で遊ぶことのできない子供たち。 「みかん畑の4割もダメになったんよー!残ってるみかんの木の姿をはやく見たいわい」